三陸沖の最北端に位置する港町、
青森県・八戸は「サバのまち」として知られています。
これまで紡いできた歴史や文化、八戸とサバの関係性を
“サバ愛”が溢れるエピソードとともに紹介します。
世界三大漁場の1つである北西太平洋海域。その中でも「三陸沖」は、アラスカ沖から流れ込む栄養豊富な親潮(寒流)と赤道付近から流れ込む黒潮(暖流)が交わる潮目があるためエサとなるプランクトンが発生し、サンマ、マグロ、サバ、イワシ、カツオなど多様な魚種が集まる世界屈指の漁場として広く知られています。 その三陸沖の最北端に位置する港町、青森県・八戸。その眼前には、親潮と黒潮に加え、津軽海峡からも暖流が流れ込んでくるため、秋から冬にかけてサバの好漁場が形成されやすい「八戸前沖」が広がっています。 八戸港は、昭和35(1961)年の特定第3種漁港指定を契機に水産都市としての整備が進められ、昭和41(1966)年から昭和43(1968)年にかけて3年連続水揚げ日本一を記録するなど、日本有数の漁港へと発展していきました。 八戸港が日本一の水揚げ量を誇っていた昭和40~50年代、その立役者(エース)と呼べる魚種はサバでした。特に、昭和53(1978)年に約75万tの水揚げ量で日本一となった際には、全体の6割超となる約46万tをサバが占め、サバ漁のピークを迎えました。 その頃には、鮮度が命のサバを流通させるために、ハマを中心に「しめさば」や「鯖缶」などの加工品を製造する企業が一気に軒を連ねたことで、水産都市としてさらに発展しました。 八戸港のサバの水揚げ量は近年、減少傾向にありますが、平成21(2009)年から令和2(2020)年まで全国TOP5以内を継続するなど、日本屈指のサバの水揚げ量を誇ってきました。
八戸市民にとってサバは身近な存在。昭和の時代は、水揚げされたサバが市内にも多く流通し、サバを運搬するトラックが街を行き交っていました。サバを山積みにしたトラックが通り過ぎた後の道端にサバがこぼれ落ちている光景は珍しくありませんでした。トラックが落としていったサバを市民が拾う姿がよく見られたと言われています。 また、あまりにもサバがたくさん獲れたため、市中心部の長根公園では無料配布が行われるなど、「サバは買うものじゃなく拾うもの(もらうもの)」というのが当たり前で、市民や地元企業からは、切っても切れない存在となっていました。 八戸は漁場が近く新鮮で身が厚く脂乗りの良いサバが簡単に手に入ることから、八戸市民にはサバの旨さをそのままに味わえる、塩焼きやみそ煮などシンプルな食べ方が好まれたようです。 また、八戸市民にとってサバ加工品も身近な存在。南部せんべいに鯖缶の身をほぐしてのせて食べるカナッペ風の食べ方は、鯖缶とせんべいの優しい塩味がマッチした素朴な味わいの一品。おつまみやおやつとして愛される、地元では知る人ぞ知る“通”な食べ方です。 そのほか、地元の郷土料理“せんべい汁”に鯖缶を使用し出汁をとるなど、独自のサバ食文化も発展しました。 そして、時代と共にサバに合わせる食材も増え、和風・洋風にかかわらず多様な食べ方が登場。サバーガーやサバのリゾット、サバ出汁のおでんなど、独自の工夫を凝らしたサバ料理を提供する飲食店も増えています。
サバの一大産地であった八戸は、加工工場や冷凍倉庫の集積により日本屈指の水産基地となりました。高い加工技術を有する企業が多く、しめさばや鯖缶、レトルト品等、様々な味付けや保存方法で多くの種類を製造しています。特に、新鮮で脂のりの良い“八戸前沖さば”を原料とした “しめさば”や“鯖缶”は全国的にも評判が高く、お土産品としても人気があります。 “しめさば”を日本初の加工品として商品化したのは八戸の企業。それまで、“しめさば”は家庭や寿司店などで作られるものでしたが、昭和43(1968)年、市内の水産加工会社「丸竹八戸水産株式会社」が全国で初めて、水産加工品としてしめさばの開発・商品化に成功。その後市内の多くの水産加工会社が“しめさば”を製造し、全国シェア8割を占めるほどに流通したと言われています。 また、青森県は平成12(2000)年代まで何年ものあいだ、“鯖缶”生産量日本一としてトップを走り続けてきました。今でも八戸産の鯖缶の加工技術には定評があります。特に高級志向のプレミアム鯖缶は入手困難。そのまま食べてもおいしい“八戸前沖さば”をシンプルな味付けで仕上げたビンテージ鯖缶や、市内の料亭と共同開発した鯖缶、味や調理法にこだわった様々なフレーバーが楽しめる鯖缶など、多くの種類が作られています。 いずれの鯖缶もおいしいと評価されているのは、八戸前沖で獲れるサバのおいしさを知っているから。八戸の鯖缶は、「ブランド力」と「品質の高さ」で全国的に評価されています。
製品紹介ページはこちらから平成22(2010)年の東北新幹線全線開業(新青森駅開業)を見据えた地域振興策として、平成20(2008)年7月、「八戸前沖さば・八戸前沖銀鯖」のブランド化の機運が高まり、協議会が設立されました。 もともと、関西圏や首都圏での卸売・加工業者・飲食店から引き合いが強く、「日本一脂の乗ったサバ」と評されるほど高い評価を得ていた八戸産サバ。そのサバを「八戸前沖さば」としてブランド化するために基準を設けて、その付加価値を高め、水産や観光、飲食等の幅広い業種に波及効果をもたらすことを目指し、様々な取り組みを行ってきました。協議会設立から15年以上経ち、「八戸前沖さば」は徐々に消費者からの認知度も高まっており、全国各地にファンが増えています。 しかし、近年は海洋環境の変化もあり、以前のようにサバの漁場が八戸前沖で形成されにくくなっているため、「八戸前沖さば」のブランド認定が難しい状況が続いています。 このような中、協議会では、八戸にはサバを愛する人が多く、市民にサバ食文化が根付いている点や、高い加工技術・設備を持っている企業が多くある点等、全国的にみても八戸には優位性があるため、ブランドPRだけにこだわらず、「サバのまち八戸」としての情報発信等の活動を展開していくこととしています。
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